感じる心 | 京都でリトミックならNeue Musik

感じる心

昨日の休日、レッスンを受けに行ってきました。

「こんにちは〜」と玄関を入ると、

背の高いススキが飾ってあり、下駄箱の上には本物そっくりの栗の文鎮が飾られてあり、秋を感じる空間に和ませてもらった。

そこから、お喋りしてレッスンしてもらい、この時点ですでに3時間も経っていたので、

「長時間すみません、ありがとうございました」と挨拶すると、

「いっぱい弾いたからお腹減ったでしょ」と私のためにサンドイッチを用意してくださっていた。

「手伝います!」とキッチンについて行くと、開け放したリビングにとても素敵なソファーが置いてある。見ると、あちこちに違う形の椅子が配置されていて、

ここはお茶するところ、ここは読書がよさそう、ここはテレビ見るところ、食事するところ・・と、想像するだけで楽しくなるような素敵な空間になっていた。

先生は昔から椅子がお好きで、どれも先生が偶然見つけた素敵な椅子を向かい入れたんだろうなぁ・・といったような特別な椅子だということがわかる。

私がキョロキョロ見ていたら、

「これは、使わなくなったイヤリングなのよ」とテーブル横のランプを指差して明かりを点けてくださった。その柄や傘の支え棒には飾りが付いていて、素敵なイヤリングやブローチがさり気なく装飾されていた。それが先生独自の、この世に一点しかない物としてその場にしっかり存在していた。

先生はそこからもっと案内してくださり、

「壁には箸置きを貼ってみたの」「可笑しいでしょ」って言ってとても楽しそうなお顔で説明してくださる。

人によっては素通りするようなことかもしれない。毎日の平凡な暮らしの中に、季節感を表してみたり、素敵なものに対するアンテナを持っていたり、自分の大切な物をずっと愛おしむ心も持っていたり、先生のことを言い出すともっといっぱいあるけど、

先生には、そういう平凡と違う感性がおありだと思う。

それがピアノにもあって、レッスンを受けると先生の目の付け所が細やかで、表現豊かでとても勉強になる。

そして、その先生と接することで感性、人や動物や物に対する優しさ、生活を楽しんでおられるお姿、それら全てがレッスンになっている。

感じる心。これが演奏にはとても大切で、それは日々の暮らしから生まれてくるものじゃないかと思う。

雑な暮らしや汚い心からは、決して綺麗な音は出せない。私はそう思う。

だから、できるだけきれいな生活を心掛けようと努力しようと思う。

人間だもん、なかなか理想通りにはいかないことのほうが多い。だからできるだけ努力する。

自分の好きな物に囲まれて、好きな音を探して自己満足の世界かもしれないけど、

それはとても幸せなことだし、そんな先生が奏でる音楽に、聴く人はとても癒され幸せを分けてもらえる。

私も先生のような先生になりたい。先生から影響されて教えていただいた、そういうことを、私も実践して子ども達へ何かを伝えていけるような年の取り方をしたいと思う。

レッスン帰り、私もお花屋さんで秋を買ってみた^ ^

写真は先生が用意してくださったサンドイッチと、お花屋さんで買った赤い実の木

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